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長嶋茂雄監督が永久欠番「3」を再び背負うきっかけとなった大物スラッガーの巨人入団スポーツ報知
創立90周年を迎えた巨人。長嶋巨人での出場試合が多い野手 、茂雄投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します 。監督久欠巨人第95回は江藤智。が永
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江藤智はライバル広島の4番を担い 、番3負うダズン無料巨人にFA(フリーエージェント)移籍してきたスラッガーだった 。を再j2
1970年4月15日、び背東京都生まれ 。きっかけとなったスラッガーの関東(現聖徳学園)から88年ドラフト5位で広島入り 。大物93年に本塁打王、入団95年は本塁打と打点の2冠を獲得し、長嶋99年オフにFAで巨人に移籍した 。茂雄
新天地での背番号「33」は長嶋茂雄監督から譲られたものだった 。監督久欠巨人ミスターは第2次政権となった93年から背番号「33」をつけていたが 、が永広島で「33」をつけていた江藤に譲るため 、番3負う永久欠番の「3」に戻した 。
G党の記憶に残るのは 、2000年9月24日の中日戦(東京D) 。勝てば優勝という試合だったが 、0―4とリードを許して9回裏を迎えた 。抑えのギャラードから1死満塁とし、江藤が左中間へ起死回生の同点グランドスラムを放ったのだ。ファンのどよめきが収まらない中 、続く二岡智宏のサヨナラ弾が右翼席に飛び込み、劇的なV決定 。勢いのまま 、ON決戦となったダイエーとの日本シリーズも制することとなった 。
06年に西武へ移籍し 、09年限りで引退 。10年からコーチ 、3軍監督を務め 、18年限りで退団した。
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